本の感想2

革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論 増補版 ちくま学芸文庫
絓 秀実
令和4年10月20日
嚆矢、たりえない、詳述を避けるという表現が多い。


ある法学者の軌跡
川島 武宜
有斐閣
平成11年10月20日復刊第2刷発行

令和4年11月19日

121ページ
或る笑い話
 日本の社会科学におけるそういう傾向について、私はアメリカで次のような笑い話を聞かされたことがあります。
 ユネスコが世界じゅうから「象について」というテーマで懸賞論文を募集したところ、各国からそれぞれおもしろい論文が集まったというのです。イギリスからきた論文には、象というものは、重いものや人間を運んだり、それから動物園に入れて子供を楽しませたりするし、その牙は貴重なもので高く売れる、というようなことが書いてあった。フランスからきた論文には、象の愛情生活について論じてあった。ドイツからきた論文には、象を研究するための方法論序説が書いてあった。そうして日本からきた論文には、象についての各国の学説がきわめて詳しく紹介してあった、という話なんです。もちろんこれはそれぞれの国の学問なり国民性を諷刺した作り話ですけれども、そういうことがアメリカで言われているということは、たいへんおもしろいと同時に、日本に関する部分については考えさせるものがあると思います。

124ページ
五 論文の書き方
翻訳される文章
 さらにまた、私は、もしヨーロッパのことばに翻訳する場合には一語一語おき換えていけばいいような構造の文章で書きたい、と心がけてきました。というのは、そういうスタイルの文章が一番論理的に明確なのではないか、と、考えるからです。

182
戦時中のこと
六 当時の日本の思想状況
 当時は、西洋文明はすべて「悪」であるだけでなく、およそ文明は「悪」であり、「日本精神」に反する、という極端なものの考え方が支配していました。当時満州へ多くの日本人が開拓民として送られていましたが、満州人の農民はすきと馬とを使って農業をしていたのに、日本から行った「開拓民」は、機械はもちろんのこと馬もすきも使ってはいけない、ただ手だけでくわを使って農業をせよ、というのが、関東軍の命令でした。未開社会的な農業経営が「神代ながらの日本精神」として賞識され、強制されていたのです。当時農林省から満州に派遣されて、未開社会的な農業経営が「神代ながらの日本精神」として賞讃さ 強制されていたのです。当時農林省から満州に派遣されていた役人の中に、このことを憂えている人がおられ、「われわれが言っても言下にどなられるだけで、何の効果もない。 川島先生、どうか関東軍の参謀に『このようなやり方では開拓民の農業はなりたたない』と言っていただけませんか。」と頼まれましたので、私は或る機会にそのことを言いましたが、もちろん言下にはねつけられました。あとで聞いたら、「川島先生だから無事にすんだのだ」と或る人が私にそっと言ってくれました。


144 私は始めて満州へ旅行しました。
217 始めての渡米