考え方の覚え書き

自分も自分以外も全て間違っている。正しいものは無い。

自分が不幸だと思う時、同時に他人も内に不幸を秘めている。自分だけが不幸を感じている訳ではない。

戦えば勝てる。戦わなければ既に負けている。

助ければ恨まれる。感謝より先に「もっと」を断られた恨みだけが後に残る。




成功例は単純に真似しても成功出来ない。成功例と同じやり方をした失敗例は無いか、違うやり方での成功例は無いか、を確認するべき。

選択にかける時間、睡眠、遊び等何でも満足より八分目に留めると効率的に事を進められる。

何かに拘ってはいけない。時間やお金といった自分の有する資源を特定の拘りに注ぎ続けるとその分新しい何かとの出会いが得られ無くなってしまう。今自分が素晴らしいと思って拘っている何かより素晴らしい何かが有る可能性を想定する。

時間が足りないと思った場合、それは時間的余裕に対してやりたい事が多過ぎるという証左なので、やりたい事を一覧化して幾つかをすっぱり諦める。

目的を決め、計画を立て、行動する。

迷う時間が一番勿体無い。

行動を起こす場合は、
1.予め決めた確認事項に沿って現状を確認する。
2.予め決めた確認事項に沿って今後の予想・予定を確認する。
3.現状と今後に基づいてどんな行動を採るかを決める。
4.強い意志を持って決定を実行に移す。
・情報収集に時間をかける。
・時間制限を定める。
・完璧な結果に拘泥しない。

自己管理が上手くなければ時間や金といった資源は幾等有っても上手くいかない。自己管理の巧拙こそが目的の達成に関する最大の要因である。

苛めを能動的に解決するには、戦うか逃げるかの二択しか無い。そうでなければ、我慢するか偶然収まるのを待つという事に成る。

仕事を選ぶ場合は、捨てる自分の自由時間、体力、精神力に対して、給料、楽しさ、身に付く技能がそれに見合っているかを基準にする。

今自分を甘やかせば今は楽しくても後で悔いる事に成る。短期的で小さい成功を選ぶ事は長期的で大きな成功を見捨てる事を意味する。

選択肢に迷った場合
・何らかの制限を設ける。制限する要素には大抵の場合時間という概念が適している。
・やるかやらないかの2択であればやる方を選ぶ。
・楽であるかどうかを無意識下に基準にしていないか留意する。楽か面倒かの2択であれば面倒な方を選ぶ。
・それぞれの選択から生じる後悔の度合いの弱い方を選ぶ。
・どの選択が1年後の自分により良い影響を与えるかを基準にする。今遊んだ場合1年後の自分には何の変化も齎さないが、今勉強した場合1年後の自分を少し進歩させている、という風に考える。本を読む場合も、この本を読んだ記憶を5年後にも覚えていられるかを基準にする。

賢い生き方・賢い方針とは余裕を持つ行動の事。不測の事態は必ず起きるが、備えが有れば被害を抑えられる。いざという時の備えの豊富さ・確かさが賢さとして表せられる。

何かに興味を持ったら出来るだけ早くそれに取り掛かるべき。興味は時間が経つに連れ薄れてしまい、興味を抱いた時点で取り組んだ場合に得られた楽しみは後回しにすると絶対に得られない。

先の事を考える場合は常に最悪を考える。最悪を考えた後で、現実的に起こり得るか蓋然性を検証する。現実的でない想像上の最悪は思考の無駄。

若し自分に怠惰、諦観、恐怖といった負の感情が無かったらどう行動しているかを考える。自分の置かれている状況に自分の知る第三者が陥った場合第三者はどう行動するかを想像する。

今自分は全力を出しているか、を定期的に意識する。




極論とは、思考対象に対して情報量が足りないか視野が狭いか想像力が足りない場合に達する結論である。極論が出る事は、自分は視野が狭くなっているなと気付く良い機会でもある。思考が極論に帰着しても構わないが、それが極論であるという自覚は必要である。

賢さとは余裕を意味する。先を予測し、不測の事態にも対処出来る備えが賢さである。

情報とは
発生、認知、記録、編集、伝達、利用という過程を辿る。

「遊び」とは反応が返って来る行動全般を意味する。反応が、早い、大きい、質が高い、という要素が強い程より「遊び」としての性質が強い。

創作とは作者の中に強い感情が発生し、それを吐き出す行為である。

芸術鑑賞を何故行うのかといえば、日常得られない感情を得られる為。日常得られない感情をどれだけ得られるかが芸術の優劣の尺度に成る。

正しい歴史は有る。しかし正しい歴史思想・正しい歴史認識は無い。

規則、基準、定義を作る制定者に成れば勝負を有利に進められる。誰かに作られた規則の範囲内で事を始めるより、小さくても自分の制定した世界で闘う方がずっと有利。

「真の金持ちというものは慈善を厭わない」「普通の親なら携帯電話を買ってくれて当然」「人の痛みが分かる政治家は弱者を切り捨てない」「在るべき科学技術の姿から逸脱している」「ちょっと考えれば分かる」「世間では通用しない」「現政権には冷静な議論こそ必要だ」「日本には民主主義の成熟が求められる」「本質的問題が解決していない」「会社の苦境を支えるのが本来の株主」「本物の音楽を理解出来る人が少なくなった」「本当に強い人こそ謙虚に振る舞う」
という様な『理想像を提示し、或る対象をその理想像から外れているとして批判する』表現は、自分自身を表す主語を社会全体のものに置き換えて、自分こそ社会的に正しいのだと誤解させる誹謗の一種である。正しさの条件が定義付けられている場合を除き、この表現は幾らごまかして書こうと単なる誹謗にしかならない。

人間は『消費者』という立場に立った時必ず愚かな人間に成る。消費者はどうしても生産者より商品に対する知識が少ないから価値を正確に理解出来ない。つまらない商品に大金を叩く事も有れば手間暇かかった商品に魅力を感じなかったりする。そういう意味で消費者は生産者よりも愚かである。生産者が商品を売る場合、自分より愚かな人間を相手にするという事実を念頭に置かなければならない。
商売はより愚かな人間を、より愚かな人間を客に出来た場合に成功する。

統計の嘘
『奇跡の水を飲んで病気が治った』という宣伝の根拠に統計が用いられていた場合、どんな点に注意すべきか。
・被験者数が少ない 「80%の人が完治!」と宣伝されていても被験者5人中4人の病気が治ったという事であれば、その4人がたまたま特別であった可能性を捨て切れない。
・都合の良い被験者のみ注目する 「奇跡の水で10人が治った!」と宣伝されている場合、被験者数が10000人いて9990人に効果が無かったとしたらその10人が特別であると言わなければならない。
・比較対象が無い 水を飲んだ被験者10000人中10人が完治したとして、水を飲まなかった被験者は10000人中何人が完治しているのか。
・標本が偏っている 症状が軽く歳も若い病気の治り易い人間ばかり被験者に選んでいないか。
・他の要因を考慮しない 奇跡の水を飲んでいて且つ他の治療を試している被験者を、そのまま成功例として紹介していないか。


・長く使う道具は高品質を、消耗品は安さを優先すべし。