本の感想

■ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治
令和6年2月28日
・「「激ハマりした」カズレーサーさん(メイプル超合金)」という惹句がカバーに印刷されているが、お笑い芸人の推薦が有る事を理由に真面目で重い内容の本を買う人間が居るだろうか。


■空飛ぶ円盤が墜落した町へ 佐藤健寿
神秘
令和5年6月23日
12ページ迄読む。図書館の本のせいか12ページ以降が6ページ程落丁していたので読むのを止める。

172ページ
今から十数年前、 ニカラグアの女性自立支援団体が、 チュパカブラを糾弾した。同団体は女性による羊飼育を促進し、女性の経済的自立を推進する運動を行なってきたが、農村部の男たちがチュパカブラの存在を喧伝して、外で働こうとする女性たちを脅しているというのだ。団体の主張によれば、男たちは女性の自立を妨げるためにチュパカブラなる怪物をでっちあげ、その危険性を説くことで羊飼いの仕事を男たちで独占し、女性の自立を妨げてきた。そして古くから続く家長制度を維持していると、主張したのである。


アメリカ軍が「戦争で兵器利用した超常現象」3選! ファンタジア作戦、ゴーストテープNo.10…ートカナ https://tocana.jp/2023/07/post_253149_entry.html


X51.ORG THE ODYSSEY アジア編 ヒマラヤに雪男を探す 佐藤健寿
令和5年7月22日 3/5
きちんと資料を調べ込んだ上で推測を立てていて立派。読み応えが有る。

誤字
99 諸葛亮孔明
198 危機感を感じはじめていた
209 自分の芽で見て


■光文社 リヴァイアサン ホッブズ 角田安正
令和4年12月16日

  • 107ページ

作者の主観が強い言葉や現象の解説。説明が抽象的で頭に入って来ない。

28 スコラ学者たちは、「重い物体が落下するのは、それが休息を求め、最適の場所でその性質を維持しようとするからだ」と説く。
39 多言を弄する割には、理解の助けにならない説明である。
64 自分の頭で考え抜くことなく書物の権威に教えを仰ぐ人々は、そうした教義を鵜呑みにするので無知な人間にもひけをとることになる。
・『第4章話す能力について』は抽象的で分かり難い。例えが欲しい。
・当時のイギリスでの言い回しが分かり易く翻訳されていない。例えば81ページ「色は物体に現れている」[肌の色は身に現れている]は恐らく当時の慣用句なのだろうがピンとこない。


誤字
24 与えられた刺激は、神経を始めとする体内の線状の器官


■銀河の片隅で科学夜話 全卓樹 2/5
令和4年5月8日
寺田寅彦風の科学雑話。粋な文章を書こうと無理に格好付けた表現が気障り。科学雑学として面白いが純粋に雑学の紹介として読むには文章が冗長。
・背表紙は黒背景に灰色の題名で読み難く目立たない。
・参考文献と出典で分けられているが、参考文献は参考にした文献ではなく読者の参考に成る文献の紹介をしている。
・奥さんとの会話、分子生物学者の母親が姉だった、大学院生生徒とアリの心について話し合ったという様な結構どうでも良い話も多い。筆者の住んでいる高知県に関する話題が多い。
・第16夜のトロッコ問題射程で紹介された、倫理学面から人間社会を分類する話だけが抜群に面白い。出典は『"The Moral Machine experiment" , Nature 562(2018) 59-64』。

75
 数年前に中国の王、徐、周の三人の物理学者が、多数の人間の無数のじゃんけんプレーのビッグデータを分析してみた。するとどうも人間は、じゃんけんを完全にランダムにプレーしてはおらず、最初に出す手はグーがチョキやパーよりも数%多く、また繰り返しのプレーでは前回の相手を負かす手を出す傾向があるらしい。特に負けたときにこれが著しかった。これを知っていると、そのパターンの逆を行くことで、統計的に勝ちやすい出し方が見つかるだろう。つまり最初はパーを出すと勝ちやすく、次はこのパーに勝とうとチョキを出す相手にグーを出すと勝ちやすい。適度に出鱈目を混ぜながらこういう風にプレーするのである。

126
 世紀の替わり目の西暦2000年、ヘルシンキにあるフィンランド職業健康研究所で、フィンランドにおける労災事故の、フィン語話者とスウェーデン語話者の比較が行なわれた。ハイテク世界企業のノキアから家族経営の林業水運業まで、総計5万件の労災データが用いられた。シモ・サルミネン博士とアンテロ・ヨハンソン博士が発見したのは、スウェーデン語話者の事故率が、フィン語話者に比べて4割ほど低いという事実である。この結果は企業の規模や業種にほとんど依らなかった。
(中略)
 フィン語は他の欧州の言葉とは全く別系統で、事象の関係は名詞の格変化によって示される。たくさんの事象があるとき、それらの間の時間順序が曖昧になる傾向がある。対してインド・ヨーロッパ語族スウェーデン語では、前置詞後置詞を駆使することで、日常会話でも事象の時間関係は常に明確である。危険を伴う複雑な作業を順次行なう場合、フィン語話者に比して、スウェーデン語話者のほうが、より時間順序の明確なメンタル・モデルを構築できて、 労働安全上優位性があると考えられるのである。


平凡社 東洋文庫
431南島雑話 幕末奄美民族誌
令和4年2月12日
69 神木屋(かみきや)と云、邨々(むらむら)に一軒宛(ずつ)あり、大小村に依て異なり。
(中略)
柱其外麁抹(そまつ)に造りたる蔵には鼠登る事あり。高蔵の大きなるには柱九つ立つもあり。形は異る事なし。爰に又奇怪のことあり。高蔵を新(あらた)に普請する時、島にカフカと云へる日を七つ合(あわせ)て作りし蔵は、鼠或は雀(すずめ)など仮令(たとい)入ることありとも、五穀など食ふことなく、却(かえつ)て蔵の内へ死して干物になること折々なり。奇怪ながらも此折々死せるを証拠とすべし。カフカを七つ合せたるは余りに強くして、人も此蔵より落つる時は命を畢(おわ)る事ある故に、五つ位合せて能(よし)と云。カフカ七つ合(あわ)するとは、材木山を入初(いりそむ)る日カフカ、 材木を山より出し初る日カフカ、普請を取付(とりつくる)日カフカ、柱を立るカフカ、棟を上る日カフカ、屋根を葺(ふ)く日カフカ、成就の日カフカ、是七つなり。住居等普請するには第一此カフカを嫌ふ事なり。此高蔵左に図し、カフカといへる日取も記す。
カフカの日取
正月丙丁 二月丙丁 三月己戊
四月己戊 五月己戎 六月甲乙
七月甲乙 八月甲乙 九月庚辛
十月庚辛 十一月庚辛 十二月丙丁

84 椎之実(しいのみ)之事
椎の実を拾ふ事は、男子よりも女子よく拾ふと。男子五升拾ふ時は女子八、九升も拾ひ、男子八升拾ふ時は、女子は壱斗二、三升は拾ふとなり。
130 薪(たきぎ)之事
女は如レ図皆テルと云へる手籠(てかご)に薪を入れて持帰るなり。或は枯薪を一丈(ママ)廻り計(ばか)り、能(よく)結びて脊に負て女持つ。是は男の持てるより遥かに多しと云。

124 一五〇カフカと云へる日
奄美の方言学者にして民族研究者、長田須磨氏によると、建物に生物が育たない日を意味するという。高倉を作るには、鼠害を防ぐためにカフカの日をえらぶ。例えば、建物 に必要な材の伐材、土台作り、建築、屋根葺きなど七日にわたってカフカの日をえらぶと、完全だが効果が強すぎて、人が高倉に登った時、怪我をする恐れがあるので、カフカの日を四日ぐらいにして高倉を建てる。鼠だけから被害をまぬかれたいからである。

136 ユタ之事
漸(ようやく)三歳の嬰児(えいじ)の病に腹茸(ワタナバ)とて、腹に茸(きのこ)生じたる病なり、胸に灸治せずば快気すべからずとて、胸に十二、三並べてひた焼(やき)に灸せしに、其夜を通さず死したり。実に夷狄(いてき)の療養とも云はんか。

167 駝竜(だりゅう)、先年内之海と云所にて海中より毎々陸地へあがり、海辺の草深き所に寝けるを村人見当りし事あり。或時、里の女見当り、馬の綱に木をくくり取りたるを追々男共来り打殺す。其肉を村老人、若人は万一も毒に当りなば、甚だ残り多き事ならん。幾程もなければ、試に我ら食ふべし、其上にて若き人ども可食と烹(に)て食けるに味甚美なり。依(よつ)て若人ども食けるとなり。味海亀の味に似たりと云。
此竜、古(いにしえ)より住(すみ)けると云事不伝、近比(ちかごろ)に内海の入口段々浅くなりける故、此竜を取て后(のち)、如此と里人伝ふ。
○駝竜、アマダツ。伝は本文に出す故、略す。

432南島雑話2 幕末奄美民族誌
14ページ
久呂津隅(くろつぐ)
椶櫚を赤津隅(あかつぐ)と云、又船の綱に用ゆ。久呂津隅の多き所より流出る水を呑(のめ)ば、ふしぎに陰嚢の皮ふくるといふ。其所に住馴れし人は其ためしなしと云へり。葉の大きなるは壱丈弐尺位。
168ページ
○麻良不久良樹(名不詳。島にて名不詳。木皆マラフクラと云伝。マラフクラの一種あり。倭のミヅキの如き木、葉より白汁を生する。其汁を陰嚢に着れば乍(たちま)ちはれる故に、その木をマラフクラ木と云か名不詳、木は皆マラフクラ木と云。

42 ○チリモヌ、一名ザヒモン。色うすくろ、尾みじかく。大熊(だいくま)村富統、油湾(ゆわん)の喜員豊此状見、依之嶋人に尋て図し置。
チリモヌは不浄の獣なり。邂逅(かいこう)人のみる事あり。此獣は人の死せしとき舗(しき)しむしろなどにやどり居ると云う。道行人の股(また)をくゝ゛れば乍(たちま)ち其人病て死すと云。豚の子の如く猫(ねこ)の類に似たりと。大さは猫の如きものなり。名ありて形ちなしと云。 聊の南島人云。

42 人魚 文政十年九月廿四日、諸島の海浜如図もの風波に漂来、翌朝なみ風をさまりて村人近よりみれば、数日へし人のごとし。恐て近くよるものなし。数月を経て腐去。委く本文に記。

45 では天摩武羅だが165では天磨武羅。46の挿し絵では摩の字に見える。

53ページ
○馬の角一夜に生じ一夜に落と云。西(にし)間切篠川(しのかわ)村の百姓の飼処の駄馬なり。新納仁郎買て大和に持帰る。 長さ五寸、四角立、如レ図。
55ページに図
142ページ
〇西間切篠川に、少し気たらはん嶌人次郎と云もの、人の下人となりて馬の飼けるに、女馬一夜に弐つ角を生み、又一角を生る。処の駄馬も常に馬に異る形ちはよく、却(かえつ)て馬形常並より劣れり。新納仁郎其角買て、大和に持登る。

102 駝竜 図から見ると鰐(わに)の中のクロコダイルであろうと見られる。台湾海峡の澎湖(ほうこ)島にも鰐が上がったとする伝説がある。華南の河川にすむ鰐が、暖海にさまよい出ることのあったことを示す事例としてよいのではないであろうか。

107 付注 『五三 蛮石榴 台湾南部でナッポイ、中部でパラとよんでいる。(中略)ハワイではその果実をパッション・フルーツとよんでいる』と書かれているがこれはグァバの事ではないか。

115ページ
○於知奈 古書琉球国は長くして海上に縄をはへたる貌に似たれば、於貴奈波の国と名付くる。於知奈ヲキナハの略(倭の書)。

135 『婦人月経短し。』と一行だけ書かれているが、具体的に何日なのかは書かれていない。

136 男子男根(ゴラ)大なる長さ六、七寸余、廻り六、七寸。
笠利の安民拾七歳の時伊津部にて見る。 又伊津部米久保、三十八、九才、瀬名戸口村赤坊、二十二、三才、俱に八寸、九寸あるもの間ゝあり。然も子共幾人も有之、用に立つ実也。
○不好男色。
○越前スホマラ、拾にして八、九人はすほまらなり。
○婦人婬水濃して米の洗汁の如く白水の事也と。医療の為森元之門弟にて永田竜見と云医師、数を試たると聞く。

越前スホマラとは何を意味するのか。注釈が無い。

164 治利毛奴(一名サヒモン。大和のイタチ程なるものと云。適々人の見る事有りて、股の下をくぐれば其人乍(たちま)ち死すと云。此獣常に死人の汚れたる衣類、雑具、川などへ捨たるものゝ中にやどり居。島中見る人段々あり。住用間切佐翁雅の写図に出す)

165 蝸牛(ツヰヌヤ)(カタツムリ)花[留鳥]好(本ノマゝ)で喰ふ。又麦食の粥(かゆ)を石間にそそぎ、草を覆ひ置けば、七里(本ノマゝ)にして尽く蝸牛となる。田蜷の如くにして食ふ。味よし。

カフカの逸話は荒川弘百姓貴族3巻に描かれた、新しい牛舎では初めの2〜3年の内は牛がポックリ死ぬ、という逸話に似ている。


■フェノメナ 怪奇現象博物館 北宋社 1987年9月10日初版第三刷発行
令和4年2月12日
カミーユ・フラマリョンの著作を多く引用している。
不思議な現象を新聞や雑誌から丁寧に渉猟している。大袈裟に煽ったりふざけた紹介は無く淡々と真面目に紹介している。

8ページ
 サンフランシスコ出身の不運な男リビィは、箱船のある正確な場所を告げる夢に鼓舞され、立ち上がったものの、
箱船に捧げつくした波乱万丈の生涯を、姿を現さぬ幻に翻弄されたまま終った。しかし、その冒険談には、石を投げる熊に追いかけられた経験など、この種の記録の中でも特異な出来事が含まれている。

23ページ
例えば日本の、『古今著聞集』(一二四五年)には次の様な例がある。「九二九年、ある朝、宮廷内に牛の蹄ほどの赤と青の悪魔の足跡がついているのが見つかった」。

24ページ
 足跡事件に関する最も興味深い推理は、一九二四年北部カナダへ冒険旅行中にジェイムス・アラン・レニーが彼自身の経験から打ち出したものである。彼と友人のフランス系カナダ人の皮なめし師は、凍った湖を渡っていたとき、偶然にも熊のものに似た、大きな、二本指の足跡が、等間隔につき、一本の点線を成しているのを発見した。あまりにも異様な光景を見て「私の友人は怯え、訳のわからぬことを口走った」。その哀れな男は、それが巨足魔人のカナダ版ウィンディゴーによるものだと主張した。後に、レニーは同じ湖を渡って帰ったが、昼日中に、骨の髄まで凍らせるような光景に遭遇した。彼は岸辺から半マイルの所にいた。そのとき突然、足跡が、「目の前に現れた、奇蹟そのもののように」。周囲には動物や生物がいる気配すらないのに、「足跡は不意に出現し情け容赦なく私の方に向って来た。 理性は錯乱状態を越えて、もう麻痺してしまったかのようだった。私は、ただ痴呆のように立ち尽していた。 足跡は私から五十ヤード以内の所まで進んで来た……二十ヤード、十ヤードとなおも接近し…バチッ、と私を打った。大きな水の塊が顔に当った。私は大声で叫んだ……顔にかかった水を拭って見ると、足跡は湖をなおも渡り続けて行った」

25ページ
 スコットランドで起きた次の逸事は新たな謎を生む。出典はオッタ・F・スワイヤーの『スコットランド高地の伝説』 (一九六三年) である。オッタは夫と、クルアニーからネス湖南端近くのグレンガリーまで、人の足跡も車の轍もない白い雪道の上を走っていた。このとき、小さな凍った湖の、降り積ったばかりの雪の上に何かの残跡を認めた。
 「それは、人の足跡ではなく、馬車の轍で、見逃しようもなく鮮やかに雪面を刻んでいた。奇妙ではないか。私たちは車を止め、外に出て、車輪の跡を辿ってみた。生物の気配や形跡は、皆無である……そして、湖岸の雪上には、足跡や馬車、そりの跡がなかった。轍は、雪に覆われた湖上だけで岸に触れるところで消失していた」
 調査が行われたが何も分らなかった。しかし数か月後、 一人の情報提供者が現れ「悪魔の馬車」の奇談を教えてくれた。「奴は冬になると馬車を駆って荒野にさまよい出るんですよ。人目につかぬ凍った湖上に車輪の跡を残すことはよくあるのですが、決して地面には跡を残しません。馬車を牽く馬の蹄跡もつけていきません」

諏訪湖御神渡りに似ている。

誤字
109
19世紀イギリスの画家バーン =ジョーンズの描いたこの絵は、聖ジョン・ ガールベルト (1073年没) を、大きな木彫りのキリスト像が、身を屈めて抱擁しているところを描いている。
135
後に訪問の記念ででもあるかのように錨を残して。


石原莞爾終戦争論 https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html
平成24年 2/5
戦争 未来予測
今から30年後に最終戦争が起き50年後に世界が統一されると説く

・物事の考え方が単純過ぎる。どちらかと言えば日蓮教信者の怪文書。空想科学小説としては読める。
・第16師団長という立場でかなりの権限を持った51歳の軍人がこんな妄想に囚われている事がばれれば日本軍は国民からの信頼を損なう筈だが、発表後に軍部から何かお咎めは受けたのか。
・飛行機を強く褒め称えている。
・独りでの演説部分は威勢良く世の中や戦争の変化を論じているが、質疑回答と成ると途端に勢いが萎んでいる。質問者からの疑問はどれも尤もな常識的なもの。質問の単純さの割に回答が明朗でない。最終戦争は我々の想像が及ばない、として質問者の疑問点を跳ね除けているが、自分は何故想像できるのかという説得力が無い。自分の予言を宇宙の霊妙な力とし開き直っている。

・本人は何度か弁解しているが、根拠が薄弱で読むに耐えない。謙ればいい加減な事を述べても言い訳が立つと思っている節が有る。
>人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると
>しからば最終戦争はいつ来るか。これも、まあ占いのようなもので科学的だとは申しませんが、全くの空想でもありません。
>私には、よくは理屈が判りませんが、要するに常温常圧の工業から高温高圧工業に、電気化学工業に変遷をして来る
>ここで、仏教教学について素人の身としては甚だ僭越でありますが
>この見解に対して法華の専門家は、それは素人のいい加減なこじつけだと言われるだろうかと存じますが、私の最も力強く感ずることは
>以上はしかし理論的考察で半ば空想に過ぎない。
>最終戦争が三十年内外に起るであろうということは占いに過ぎない(四五頁)。私も常識を以てしては、三十年内外に起るとは、なかなか考えられない。
>かくの如き問題はその道の学者に教えを乞うべきで、私如きものが回答するのは僭越極まる次第であるが
>「戦争史大観の由来記」に白状してある通り、私の軍事学に関する知識は極めて狭く、
>ここでは折角の質問に対し、私の常識的想像を述べることとする。決して権威ある回答ではない。
>運用に関する戦闘隊形が戦闘群の次にどんなものになるかは、戦闘方法が全く想像もつかないのであるから判断ができない。同じく運用に関する戦闘指導精神が統制の次に、いかなるものであるかも、全く判断に苦しむ。それでこの二つは正直に白欄にしてあるのであるが、敢えて大胆に意見を述べることとする。
>私の軍事科学の説明が甚だ不十分であることは、固より自認するところである。
>第十五問 産業大革命の必然性についての説明が不十分であると思う。
 答 全くその通りである。私の知識は軍事以外は皆無に近い。「最終戦争論」は、信仰によって直感している最終戦争を、私の専門とする軍事科学の貧弱ながら良心的な研究により、やや具体的に解釈し得たとの考えから、敢えて世に発表したのである。その際、軍事は一般文明の発展と歩調を同じくするとの原則に基づき、各方面から観察しても同一の結論に達するだろうとの信念の下に、若干の思いつきを述べたに過ぎない。
 この質疑回答の中にも、私の分を越えた僭越な独断が甚だ多いのは十分承知しており、誠にお恥ずかしい極みである。志ある方々が、思想・社会・経済等あらゆる方面から御検討の上、御教示を賜わらんことを切にお願い申上げる次第である。

>昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した。
>ところが第一次欧州戦争勃発の一九一四年から二十数年経過しております。今日から二十数年、まあ三十年内外で次の決戦戦争、即ち最終戦争の時期に入るだろう、ということになります。
(中略)
言い換えれば今から三十年内外で人類の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に世界が一つになるだろう。こういうふうに私は算盤を弾いた次第であります。

昭和45年に世界戦争が起き、昭和65年に世界統一がされているという予言。

>日本の有する天才の一人である清水芳太郎氏は『日本真体制論』の中に、その文明の発展について種々面白い空想を述べている。
 植物の一枚の葉の作用の秘密をつかめたならば、試験管の中で、われわれの食物がどんどん作られるようになり、一定の土地から今の恐らく千五百倍ぐらいの食料が製造できる。

1500倍という数字の根拠はなんなのか。


石原莞爾 新日本の進路 石原莞爾將軍の遺書 https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1156_23860.html
平成30年10月24日 2/5
社会体制 政治
戦後の日本の在り方について述べる
・予測の外れた『最終戦争論』について反省している割に、論理構築が乱暴で説明が足らず根拠の無い極端な妄想を飛ばす点は変化無い。
・遺族に向けた遺書ではなく、またも懲りずに妄想を披瀝しているだけの文章。

>しかるに三民主義の中國は、蒋介石氏の獨裁と非難されるが斷じてしからず、蒋氏は常に反省的であり、衰えたる國民黨の一角に依然美事なる統制えの歩みが見られる。毛澤東氏の新民主主義も、恐らくソ連のごとき專制には墮せず、東洋的風格をもつ優秀なる思想を完成するに相違いない。
>現在中國の國富は貧弱であるが、國土廣大なるため、統制を行つても或程度自由をのばし得ている。

中国に対する予測は外れている。


>最終戰爭が東亞と歐米との兩國家群の間に行われるであろうと豫想した見解は、甚しい自惚れであり、事實上明かに誤りであつたことを認める。

予測の外れを認めている。


>この体制が全國的に完成せらるれば、日本の經濟は一擧に今日の十倍の生産力を獲得することも至難ではないと信ずる。

根拠も無しに発言が極端。


>近代社會は專制、自由、統制の三つの段階を經て發展して來た。

国家体制を専制主義、自由主義、統制主義と乱暴に分けており、この分類は
石原莞爾 戦争史大観 https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/55635_49037.html
第四 戦闘方法の進歩
で書かれた戦闘の指導精神の分類をその儘当て嵌めている。


石原莞爾 戦争史大観 https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/55635_49037.html
平成30年11月16日-令和1年8月15日
令和2年6月14日2回目読み終わり
・第二篇 戦争史大観の序説(別名・戦争史大観の由来記)
は日本が採るべき戦略は如何にあるべきかという話をしていたのに、いつの間にか学生時代の思い出話に変わっている。
・「プロイセン」と「普国」の2種類の表記が有るがどう使い分けているのか。

大正十四年秋、シベリヤ経由でドイツから帰国の途中、哈爾賓ハルビン国柱会の同志に無理に公開演説に引出された。席上で「大震災により破壊した東京に十億の大金をかけることは愚の至りである。世界統一のための最終戦争が近いのだから、それまでの数十年はバラックの生活をし戦争終結後、世界の人々の献金により世界の首都を再建すべきだ」といったようなことを言って、あきれられたことも覚えている。


 昭和十五年五月二十九日の京都義方会に於ける講演筆記(第二次欧州大戦の急進展により同年八月印刷に付する際その部分を少し追補した)の出版されたのが、立命館版『世界最終戦論』である。要するにこれは私の三十年ばかりの軍人生活の中に考え続けて来たことの結論と言うべきである。空想は長かったが、前に述べた如く真に私が学問的に戦史を研究したのは、主としてフリードリヒ大王とナポレオンだけであり、しかもその期間も大正十五年夏から昭和三年二月までの約一年半に過ぎないのである。研究は大急ぎで素材を整理したくらいのところで、まだまだ消化したものではなく、殊に私の最も関心事であったナポレオンの対英戦争は、その最重要点の研究がまとまらずにいるのである。最終戦争論に論じてあるフリードリヒ大王以前のことは真に常識的なものに過ぎない。


 近時の日本人は全力を傾注して西洋文明を学び取り摂取し、既にその能力を示した。しかし反面西洋覇道文明の影響甚だしく、今日の日本知識人は西洋人以上に功利主義に趨はしり、日本固有の道徳を放棄し、しかも西洋の社会道徳の体得すらも無く道徳的に最も危険なる状態にあるのではないか。世界各国、特に兄弟たるべき東亜の諸民族からも蛇蝎だかつの如く嫌われておるのは必ずしも彼らの誤解のためのみでは無い。これは日本民族の大反省を要すべき問題であり、東亜大同を目標とすべき昭和維新のためよろしくこの混乱を整理して新しき道徳の確立が最も肝要である。

一応予想は当たっている。

 科学文明の急速なる進歩が最近世界を狭くし、遠からず全世界は王道、覇道両文明の二集団に分るる事となるべく、その日は既に目前に迫りつつある。
 その二集団が世界統一のための最終戦争を行なうためには、これに適した決戦兵器が必要である。静かに大勢を達観すれば、世界二分と決戦兵器の出現は歩調を一にして進んでいる。それは当然である。この二つの間には文化的に最も密接な関係があるのである。即ち、兵器の発達は自然に人類の政治的集団の範囲を拡大し、世界二分の政治的状態成立の時は既に両集団に決戦を可能ならしむる兵器の発明せらるる時である。
 この最終戦争に対する準備のため、
1、世界最優秀決戦兵器の創造
2、防空対策の徹底
 この二点が最も肝要である。この徹底せる決戦戦争に於ては武力戦が瞬間的に万事を決定するであろう。
 今日ドイツが大体制空権を得ているようにみえるが、しかし依然多数の船舶は英国の港に出入している。飛行機による船舶の破壊は潜水艦のそれに及ばぬらしい。あの英仏海峡制海権もなかなかドイツに入り難い様子である。これ飛行機の滞空時間が長くない事が第一の原因である。またロンドンを日夜爆撃してもなかなかロンドン市民の抵抗意志を屈伏せしむる事が出来ない。今日の爆弾では威力が足りぬのである。
 僅かに英仏海峡を挟んでの決戦戦争すらほとんど不可能の有様で、太平洋を挟んでの決戦戦争はまるで夢のようであるが、既に驚くべき科学の発明が芽を出しつつあるではないか。原子核破壊による驚異すべきエネルギーの発生が、巧みに人間により活用せらるるようになったならどうであろうか。これにより航空機は長時間すばらしい速度をもって飛ぶ事が出来、世界は全く狭くなる事が出来るであろう。またそのエネルギーを用うる破壊力は瞬間に戦争の決を与える力ともなるであろう。




■庄司淺水ノンフィクション著作集 4世界の怪奇物語 庄司淺水 三修社
平成26年7月9日
・真偽の怪しい物語を集めている。
・人体は沃素を含み尿にはアンモニア含まれている、服には化学物質が使われているという自然発火の理屈は強引。

16 『月への一番乗リ』
ここだけ送り仮名が片仮名
25 火星や金星には知的生物はいないと否定しつつ、原始的な生物がいるという仮説が書かれている。
38 テレシコワ以前に女性宇宙飛行士がいたが事故死した為隠蔽されていた。
アポロ17号の打ち上げは130歳の黒人奴隷チャーリースミスが立ち会った。

作者は明治生まれだが文章は読み易い。ただ以下の様に一部難しい箇所は有る。
111 入っていたのかもしれたい
114 辛坊強い数育
139 全き人
174 このようなインチキ人間は跡を絶たないだろう


庄司淺水ノンフィクション著作集 5世界の秘話 庄司淺水 三修社
平成30年1月17日

アメリカは自死を前提とした神風特別攻撃隊を理解できない、とはよく言われるが、アメリカ軍は米西戦争の際石炭運送船メリマック号をキューバに沈める決死隊作戦を実行している。結果的には決死隊は8人全員生き残っている。
・34「マリア・テレザ」が乗りあげた海岸から何故か八〇〇キロも離れたところに移動した奇談が紹介されているが、これは座礁直後に船が移動したかに読める。実際には戦闘が完全に終了後曳行の過程で移動しただけ。
・エイメ・ジュビュク・ド・リベリがナポレオン・ボナパルトの最初の妻ジョゼフィーヌの従姉妹であるという説。
・153 「ところで、われわれが知らなければならないのは、マヤ族はメソポタミアやエジプトのような古代文明国とはまったく隔絶し、独自の文化をもちながら、しかもこれらの国々に多大の影響を及ぼしたということである。」と書かれているが、匹敵する文明を持っていると書かれているだけで影響を及ぼしたという詳細は書かれていない。
ユダヤ人の話は陰謀論から始まっているが、内容はユダヤ人の歴史。陰謀論については序盤では否定しているものの、終盤では世界を牛耳っている民族であると締めている。

誤字
19「面舵いっぱいになっています。そのまま蛇を縛りつけてあります。船長!」


■「売れる個人」のつくり方 安藤 美冬
令和3年10月31日
試し読み版のみ読む。筆者の無駄な自分語りが多い。内容は抽象的で科学的には思えない。