地震15日目

平成23年3月25日

今日の第2グループの18時20分〜22時00分の輪番停電は実施未定とされていたが、14時頃に実施が確定された。大事を取っていて良かった。うちの地域は第2グループCになったらしい。

市川市東北地方太平洋沖地震情報 http://www.city.ichikawa.lg.jp/cri01/saigaiportal.html#09
計画停電のグループが細分化されました。市川市は第2グループは第2-C、第5グループは第5−Cとなりました。

18時20分からの停電の少し前に店が閉まってしまうので、16時30分に買い物に行く。しかしシャポー市川店は17時、ダイエー市川店は18時に閉店するとの事。もっと早く出るべきであった。シャポー市川店の閉店15分前には惣菜が殆ど残っていなかった。ダイエー市川店は家族連れ、友達同士等複数人で買い物に来ている客が多い。停電に備えての買い物であろうか。
ダイエーでは自社の発行するハートポイントカードというポイントカードに貯まったポイントを東北太平洋地震義援金として送れる制度を実施していた。

ダイエーハートポイントでの「東北地方太平洋沖地震」被災地域救援のための義援金承りのお知らせ http://www.daiei.co.jp/corporate/index.php/release/lists/detail/689
3. 実施方法 ・各店のサービスカウンターで承ります
・500ポイント(500円相当)単位で承ります
・お預かりした義援金は被災地にお届けいたします

この制度を利用して義援金を送ろうと試みる。1階のレジスターでお願いしてみるが取り扱っていないと言われる。「3サービスカウンターにて承ります」とチラシには書かれていたので他の店員に3サービスカウンターの場所を訊く。3階に有るレジスターの事だと答えられたので3階に行き、義援金の支払いのついでの198円の歯磨き粉を買う。しかしここのレジスターの店員に由ると、まず500円分の買い物を3階でして、且つポイントが500ポイント溜まっている状態でないとハートポイントを義援金として送金する事が出来ないらしい。俺は既に1階で1956円の買い物をしているがこれは無効らしい。分かり難く納得のいかない仕組みなので結局義援金送金はせずポイントは貯めておいた。

18時42分、またぴったり22分遅れで輪番停電が始まる。小便一つするのにも懐中電灯が要る。

自宅周辺が夜半に停電に成るのは初めての事なので、懐中電灯を持って街の様子を見に散歩してみる。微かに小雨が降っている。家を一歩出て近所を見渡しただけで異変を感じる。早朝時の様に家々は暗く静かで、しかし空気は早朝時の様に澄んでおらず生温かい。夕暮れの余韻が残る空は薄く橙を混ぜていて茶色い。家の窓も街灯も自動販売機も真っ暗で、集合住宅の出入口の灯りだけが例外的に点いている。ただ電気が無くなっただけなのに、まるで普段の街から色と音を抜き取った様な雰囲気で『まっくら森の歌』か何かの絵本の世界の様である。この色の消えた世界で懐中電灯を持ち一人歩いている自分は、盲の世界に紛れ込んだ目明きに等しい優位者に思え、久しく感じなかった子供じみた万能感が高揚してくる。僅かな道の段差がいつもより危険な存在と成る。歩いている人には擦れ違う直前迄気付けない。自転車も無灯火だと避けられない。脇に停められているバイクが蹲っている人に見える。昔水木しげる先生はテレビ番組出演時に、灯りが妖怪を滅ぼした、という旨の発言をしていたが、今回の輪番停電で果たして妖怪は何割増えたのであろうか。確かにこの灯りの無い街並みの空気は妖怪漫画の一本でも描ける位には創作意欲が掻き立てられる。中学生以下の子供が一人でこの街を歩いていたら泣いてしまってもおかしくない。この戦後初めての夜間大停電が生み出す迫力は一度体験するだけの価値が有る。一つの観光要素にも成り得るのではないか。12月の冬至の前後であったらより楽しめたであろうに、と思ってしまう。信号機が稼動していないので、横断歩道を渡る際は懐中電灯をウルトラマンのベーターカプセルの様に高く掲げて渡る。少し大きな横断歩道では交通整理員が声を張り上げて歩行者を誘導していた。茶色い空の下、放射能を含む雨が降る中、灯りの消えた街中を、灯りを身に付けた人々が、騒ぎもせずに平然と歩いている。遠くからは飛行機の甲高い共鳴音が聞こえて来る。正に世紀末だなぁと思わされる。せいいっぱいこの貴重な異常さを身に感じようと空を見上げる。駅は灯りが点いている為、停電時でも駅前は人で賑わっている。駅ナカの喫茶店ベッカーズは大繁盛していた。市川駅前の薬局、モツ煮込み屋、ピンクサロンは電灯が点かないまま営業を続けていた。寿司屋、てんや、白木屋は店頭に商品を並べて売っていた。白木屋が懐中電灯を照らしておにぎりを売る様は覚醒剤取引の現場の様で可笑しい。20時手前、雨足が強くなり始めたので帰る。この頃には22時迄を予定していた停電は繰り上げ終了して、街は普段の味気無い様相を取り戻していた。夜半の停電は只街を歩くだけでも危険だと理解出来た。買い占めは懐中電灯と電池に限り俺は認める。当面夜間の停電は続くのだから寧ろ行政は懐中電灯の購入を強く市民に勧めるべきだ。

自転車に付けている取り外し可能な電池式の灯りは盗難被害が今後多発するだろう。

北太平洋地震の死亡者の内訳を知りたい。学歴・職業、年齢・性別、傷病の有無、身体・知的・精神障害、様々な要素が死亡率にどの程度関わるのか、また過去の災害と比較してそれぞれの要素の因果関係の強さは変化しているのかを見たい。

逃げ遅れか…地震死者、60歳以上が65% : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110324-OYT1T01085.htm
東日本巨大地震で被害の大きかった岩手、宮城、福島、茨城、千葉の5県で年齢のわかっている死者2853人のうち、60歳以上が65・1%に上ったことが読売新聞のまとめでわかった。

 70歳以上でも全体の46・1%を占めた。津波で高齢者が逃げ遅れ、被害が拡大した可能性が指摘されている。

 各県警が把握している死者のうち、23日夜までに身元と年齢を公表した分が対象。岩手県は死者721人のうち60歳以上は457人で63・3%、70歳以上は44・0%。宮城県は1579人のうち60歳以上は63・1%、70歳以上は44・9%でほぼ同じ割合だった。

 岩手県の統計データによると、同県の昨年の年齢別構成比は60歳以上が34・9%、70歳以上が20・8%。現段階では、今回の地震では60歳以上、70歳以上とも、死者に占める割合が、人口に占める割合に比べて2倍前後となっている。

 福島県は、515人のうち60歳以上が72・4%、70歳以上が52・4%で、岩手、宮城県よりも年齢層の高い人たちが犠牲になった。

 6434人が亡くなった1995年1月の阪神大震災で、兵庫県が2005年12月に県内死者6402人の年齢別内訳を調べたところ、70歳以上は39・3%だった。

 震災被害に詳しい河田恵昭・関西大教授(防災論)の話「宮城県内の被災状況を見た。高齢者は健康体でも若者に比べて動きが遅く、津波などの災害では逃げ遅れる事例が多い。データからは、高齢者に対して、行政による避難誘導のあり方を見直し、近所の若者による手助けが必要だという教訓が導き出される」

(2011年3月25日03時09分 読売新聞)

現時点で確認されている行方不明者は12782人らしい。「私の娘が居ない」「私の友達が居ない」と生き残った人間の情報から行方不明である事が分かる人間はまだ良いが、知り合いが居らず天涯孤独な人間や、家族や知り合いと揃って行方不明になった人間は行方不明者の数にも入れてもらえない。この社会から全く忘れ去られて元々居なかった存在として扱われてしまう。誰にも悼まれないからこの世に悲しみを生む事も無いが、それが故に真に悲しく正に空しい。

死者・行方不明者 2万1861人に - IBTimes:世界の最新ビジネスニュース http://jp.ibtimes.com/articles/16437/20110322/.htm
同本部によると死者は9079人、行方不明者は1万2782人になった。負傷者も2633人にのぼっている。

同じ被災者であっても、子供の名前がおかしな名前だとあまり可哀想に思えない。